2009(平成20)年度FCCフォーラム 特別講演会 『社会的共通資本と土木』 趣旨説明

FCCフォーラム 趣旨説明(リレートーク)
 宮本仁志, FCC代表幹事(神戸大学)
 福井賢一郎, FCCメンバー(阪急電鉄)
 田中耕司, FCCメンバー(建設技術研究所)
 本田豊, FCC副代表幹事(兵庫県)

宮本 これから25分程度、FCCで宇沢先生をお呼びした趣旨を説明したく存じます。我々が宇沢先生に対して、先生がお書きになっているいろんな著書を読んで我々なりに思っていることをオムニバス形式で紹介し、趣旨説明といたします。

〜宇沢弘文先生にご講演をお願いするに至ったFCC活動の経緯
 宮本仁志, FCC代表幹事(神戸大学)

 まず、去年からの活動の経緯です。昨年11月30日、梅田にて、「あなたのまわりの電車・バスが消えていく? 公共交通による地域再生を通して“公共”を考える」という題目で、FCCフォーラムを開催しました。いま、近畿圏にある交通機関、特に公共交通機関が経済的に困窮した状態になっています。しかし実は、問題はその公共交通機関が消えてしまうというだけでなく、“公共”そのものの考え方が消えてしまうのではないかという危機感からのフォーラム開催でした。

 その直後にあった12月のFCC活動において、宇沢先生の「社会的共通資本」という話題が出てきました。これはまさしく公共のことを考えるということで、そのとき、できれば宇沢先生にお話しいただきたいという話になりました。主に話題に出たのが、「社会的共通資本」、「自動車の社会的費用」、「「成田」とは何か」などです。

 明けて今年1月には、宇沢先生が土木学会誌にご寄稿されています。その原稿がお手元にございますA3の資料です。「社会的共通資本と土木」ということで、特に、歴史的な観点から、昔の土木構造物についていろいろとご意見をいただいている内容です。

 その後4〜8月にかけてFCC分科会の中で、社会的共通資本の話題を2回ほど取り上げました。そして8月に、やはり宇沢先生をぜひお呼びし、お話を聞きたいということで、ご講演の依頼を差し上げた次第でございます。これが全体的な経緯です。
 ここからは、このようなFCC活動を通して、それぞれが宇沢先生にぜひこういうところが聞いてみたいというようなことを、宇沢先生にお話し申し上げることにいたします。

〜水道料金の社会的費用、流域での合意形成と社会的共通資本、そしてコモンズ
 宮本仁志, FCC代表幹事(神戸大学)

 私の専門は水工学、河川工学です。宇沢先生のご著作をお読みして、やはり私なりにいろいろと思うところがございます。「自動車の社会的費用」との関連では、同じようなことが水道料金にも言えると思っています。同様のことはいろんな方がおっしゃっていると思います。水道料金というのは大体、1トン200円ぐらいです。一方、ペットボトルは同じように1トンに直すと、大体20万円します。私が子供の頃は、スポーツをした後など、当時はペットボトルがございませんでしたので、水道水をゴクゴクと飲むわけですね。今は私もペットボトルを買っていまして、このように200円で飲めていたものが今は20万円かかっている。こういう日々の水の消費量というのは、大体、日本では1人1日300リットル使われているようです。実は、国際的には1人1日50リットルの安全な水にアクセスできれば最低限人間らしい生活が保障されるということです。そのほかに、水は経済的な価値を有する経済財であるということも言われているようです。それで、この表を見ていただくと、今、地球全体ではこのように多くの地域で、そういう最低限の水にアクセスできない状態になっているようです。それにもかかわらず、我々は200円の水ということでまさに湯水のように水を使う。しかし、実はこれは、ものすごく投資されているわけですね。公共投資されて安全な水道水となり、その上で200円ということなのですが、それを湯水のように我々は使っている。このことをどのように考えていけばいいのか、という話が1つ目に思ったことです。これは「自動車の社会的費用」というのを私なりに水道水の社会的費用というような形に焼き直してみた話です。

 もう1つは「「成田」とは何か」です。この本の最終章、「徳政をもって一新を発せ」という章からの抜粋です。「…政府が”公益事業だ国益だ”といって,国民を”犠牲ないしは私権の制限の対象”としてしか見ない態度を,根本的に改める必要がある… たとえ一歩遅れても,二歩遅れても、丁寧に合意を形成しながら進むべき時代が、もう来ているといっても過言ではないと思います…」。現在もやはり、合意形成がキーワードになっていると思います。ここに示すのは琵琶湖・淀川流域です。昨日、一昨日も新聞の1面か2面に載っていたと思いますが、この流域でも合意形成が問題となっています。国土交通省近畿地方整備局という整備主体、淀川の流域委員会、それから地元知事。それぞれに正義があると思いますが、それぞれの立場で主張されていて合意形成になかなか到達しないところがあると思います。地方分権ということもあるのですが、私としては流域の治水に関する上下流問題などをどのような枠組みで解決するのか、がものすごく気になっているところです。そういったところを、宇沢先生の社会的共通資本、それと、それを制度化するコモンズの思想、このコモンズと社会的共通資本という枠組みで考えたら何かヒントが得られるのではないかと思っています。今日はFCCとしてもそうですが、個人的にも社会的共通資本のお話が聞けるのを大変うれしく思っています。

〜企業における地球環境問題、環境アカウンタビリティー
 福井賢一郎, FCCメンバー(阪急電鉄)

 私は、大学で土木工学の専攻を出てから鉄道会社に入社し、現在、鉄道の代表である都市交通の企画部門に長く携わっています。最近、仕事の中で地球環境、環境会計という言葉を非常によく耳にします。今、なぜ企業が取り組むのが地球環境なのか。例えば、いろんな企業で「地球環境に取り組んでいる企業です」というようなCMが行われています。その中で、環境会計という言葉について少し勉強したことをお話ししたいと思います。

 環境会計に関して勉強した本の中に、アカウンタビリティーという言葉がありました。アカウンタビリティーは日本語では「説明責任」です。土木の世界でもおなじみの言葉かと思うのですが、特に、財務会計の世界でアカウンタビリティーという言葉が非常によく使われるようです。なぜ財務会計の世界で企業が説明責任を持つのか。それは、企業は株主からお金を預かって、大胆に言えば、それを増やしてお返しするということをやる集合体です。ですので、そういう株主との間で受託、委託の関係が成り立つときに、その両者の間で説明責任があると、そういう説明がなされます。

 実は、環境においても環境アカウンタビリティーが存在するといったことが本に書いてあります。これは非常におもしろい話だなと、私は個人的に興味を持っています。なぜ環境に対してアカウンタビリティーがあるのかと言いますと、地球環境、地球資源というのが有限であることに根本があります。限りある地球の資源を使って、最大限に儲けますという活動をする企業は、地球人全体から地球環境の使い方の委任を受けているということです。その委任を受けて最大限に活用して儲けるという活動をしている限りにおいて、有効活用であるとか、妥当な活用であるとか、それから適切な活用であるとか、地球環境に十分に配慮しているとか、そういうことに対して、当然、地球人全体に対して説明の責任があるということです。そのような理念が、環境会計の本において第1に示されていたわけです。

 環境会計というキーワードが語られるとき、企業のCMや環境報告書などもそうなのでしょうが、PRとか、それでいくら儲かるのかなど、そういう側面にスポットが当てられることが実務的には多いかと思います。ただ、先ほど申し上げたような、環境に対するアカウンタビリティーは当然持つべきなのです、という理念が共有されるのであれば、もしくは、それは当然の義務という考え方を企業がもつのであれば、それを背景に制度化することも容易だろうと思います。そうすると、地球環境に対する社会の対応というのも非常によりよいものになるのではないでしょうか。そのような感想を持っているところに、たまたま同じタイミングで宇沢先生の「社会的共通資本」という本をFCCで読ませていただく機会がございました。どの程度、この2つの話がラップするのかというのが、私にはわからないのですけれども、その両者に同時に触れたときに、社会的共通資本という言葉に非常に深く関心を持った次第でございます。

 本日、私の考えがどこまであっているのかということも含めて、宇沢先生には勉強させていただきたいと思います。また、皆様からも重要なご示唆をいただければと思っております。最後までどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございます。

〜土木技術者、職業的専門家としての想い、そして期待されること
 田中耕司, FCCメンバー(建設技術研究所)

 先ほど福井のほうから環境会計の話が出たと思います。私のほうからは余り難しい話ではなくて、皆さん、ここにお集まりの方々それぞれの、個人的な技術者としての想い、我々が今どういう環境にあってどんな背景の中で今生きているのかということ、そういったものを宇沢先生の前で、少し概念的な話も引っくるめまして話させていただきたいと思います。

 土木に携わる人たちの現状をいいます。今、大体500万人の就労人口があるようです。ただ、この500万人というのは、国の制度により登録している企業、あるいは行政、そういった方々の人数でございます。それ以外にも実は、電機メーカー、機械メーカーなどにおいて、いろんな方が実際に土木に携わっているので、多分500万人以上になり、800万人とかそういった人口をもつ業界でございます。

 最近の公共事業の削減と景気の低迷、そういったことを背景にして、やっぱり業界が徐々に冷え始めているというふうな感じを受けます。それと、昨今、新聞記事等で汚職だとか談合問題など、暗いニュースが時たまニュースやワイドショーを騒がすといったことがあります。そういった中で、我々、ここにお集まりの皆様、さらにはここにお集まりじゃない技術者の方、みな何か心の中にわだかまりを持ちながら、個人的には「おれは元気だ」という方もいらっしゃるかも知れませんが、やっぱりみんなで元気を出さないといけない、という想いがあるかと思います。

 我々はそれなりの技術というものを1つ盾にして、いろいろ生きてきています。私も同じように思っています。何かをつくり上げることに生きがいを感じてきました。そういうことを1つひとつ仕事にしながら、仕事に楽しみを覚えながら今までやってきたわけです。さらに、一人ひとりがやっていくということなのですが、土木構造物は当然明治からの我々の先輩の英知の結晶だということと、その恩恵を実は国民の方々は知らず知らずのうちに受けてきているということが挙げられます。また、公益というなかで非常に多くの社会資本をつくり上げてきたという自信もございます。

 それとは逆に、自然破壊、公害といった負の面も認めなきゃいけないところだと思います。そういった負の部分もありますが、社会基盤整備、あるいは社会資本整備というところを下支えとして役に立ってきたと思います。それと、個人の満足度や組織の満足度、あと、社会の満足度、国家の満足度というものを満たしてきたのではないだろうかというところがございます。

 それと、人的資源ということでは、我々土木に身を置く者としては、土木技術を身につけて人の役に立ちたいという想いは今も昔も変わらないだろうと思います。そういった中で我々が豊かな社会、生活を支えるため、あるいはつくり上げていくため、我々に何が求められて、我々は何をすべきか、というところが大切だというふうに想っております。また、そういうことを創造していくのは、まさに我々人間であり、土木技術者だというところが普段想っていることでございます。

 そういう想いがありまして、宇沢先生の「社会的共通資本」を読ませていただきました。最初のほうに「社会的共通資本は、決して国家統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として、市場的な条件によって左右されてはならない」という文章がございます。その後にある、「一方で、職業的専門家によって、専門的知見に基づき、職業的規範に従って管理、維持されなければならない」という言葉に、私は個人的な技術者としての誇りと言いましょうか、自信と言いましょうか、まさにこれに、特に後半の部分に共感を覚えております。一方、前半の部分というのは非常に複雑な気持ちで普段みております。

 私は、今、土木の人的資源というのは非常に多様で器用だというふうに思っております。そこで、宇沢先生にぜひ、そんな我々に期待するものは何かというものをご教示いただければというふうに思っているわけです。この後のご講演、貴重なお話を聞かせていただけることを期待しております。よろしくお願いいたします。

〜LRT、公共(パブリック)の概念、そして将来にわたる人間中心のまちづくり
 本田豊, FCC副代表幹事(兵庫県)

 私は宇沢先生の「自動車の社会的費用」に共感し大きな影響を受けた者として、今回のフォーラムでは企画段階から宇沢先生のお話を誰よりも楽しみにしていた1人です。

 私はこの10年来継続して、公共交通の中でもLRT(次世代型の路面電車システム)に関わってまいりました。もはやライフワークです。平成7年の阪神・淡路大震災の時、神戸復興のためにLRTを入れて復興しようという提案をしたことを最初に、平成11年には職場で「ひょうごLRT整備基本構想」に携わってまいりました。

 私が今日までこういった形でLRTを追いかけることになった原点は、実は、ヨーロッパに行ったときに、ドイツのフライブルクあるいはフランスのストラスブール等でみたLRTです。向こうの多くの都市では、市内の中心部に自動車の走らないトランジットモールがあります。そこでは、人々はカフェテラスでお茶を楽しんだり、新聞を読んだり、あるいは、子どもたちも皆、笑顔いっぱいで自由奔放に街路を走り回る、というような姿が見られました。カランカランというやさしい警笛が街角に響きますと、ゆっくり走るLRTの接近に気づいた方々が皆、道を譲るというような光景が見られます。とにかく驚きましたのは、平日にもかかわらず、自動車を気にすることもなく、楽しそうに街を歩いている人たちがかなり多かったということで、たいへん印象に残っています。そして、そのうち3分の1ぐらいはお年寄り、という記憶がございます。

 それ以来、カルチャーショックというのでしょうか、私はまちづくりに携わる土木屋として、自動車に占領されてしまった日本の都市で、どうすればこのようなLRTを生かした人間中心のまちづくりができるのかということを考え、さまざまな形で活動してまいりました。FCCメンバーとしては、平成15年10月、16年1月、18年2月の第3回,5回,14回の各FCCサロンにおいて、いずれも「どうしてきでないLRT」というタイトルで、なぜ日本でLRTができないのか、あるいはどうすれば日本でLRTができるのかというようなことを何度も取り上げました。さらに、昨秋のFCCフォーラムでは、「公共交通による地域再生を通じて『公共』を考える」と題して、公共交通と公共の関わりについて取り上げてまいりました。

 私も土木屋の1人です。その土木屋とは、プライベートを捨てて社会のために働く、非常に崇高な職業の1つではないかと考えているところです。ところが、急速に日本の社会全体が、成果主義だとか、あるいはプライベート重視になってきている中では、もしかしたら土木屋というのは変わり者扱い、特別視されてきているのかもしれません。そんな中、私は日本の社会において、「公共(Public)」という概念や意識がだんだんなくなってきているのではないかということを少し心配しております。まちづくりにおいても、本来なくてはならないパブリックの概念がどんどん衰退してきているのではないかと思っています。

 一方、この「公共(Public)」の概念というのがしっかり浸透しているのがヨーロッパです。ヨーロッパでは都市再生の合い言葉が「持続可能なまちづくり」となっており、その中で最上位の政策目標が「市民生活の質の向上(Quality of Life)」であると聞いております。そして、その持続可能なまちづくりを実現するツールとしての象徴がLRTなのではないかと思っています。

 これまで経済成長優先のまちづくりをしてきた日本でも、そろそろヨーロッパ型で人間中心の、将来にわたって持続可能なまちづくりへの転換の時期に来ているのではないかと考えております。私といたしましては、そんな想いで、今後も引き続きFCC活動に取り組んでいきたいと考えているところです。

 宇沢先生の著書には、LRTをはじめとする公共交通も、社会的共通資本の重要な構成要素だと謳われています。私にとっては長年の夢でありました本日の宇沢先生のご講演を、改めて社会的共通資本について熱い想いを持って、しっかりと学ばせていただければと思っております。宇沢先生、本日はどうぞよろしくお願い申し上げます。

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