『平家物語』と一の谷の戦いの謎ときについて

日 時:3月23日(月)13.00〜
場 所:宝塚ソリオホール
主 催:(財)宝塚市文化振興財団
講 師:田辺 眞人 園田学園女子大学教授
 今回のメーンテーマである源平合戦の一の谷の戦いについて
何故か少年時代に見た鵯越の坂落しに畠山重忠が馬を背負う絵を思い出す。
この合戦について疑問に思っていたことが、数年前から山登るようになってある例会で須磨から鉢伏山を越えるコースを登っても一の谷の地名はあっても鵯越の地名がなく不思議に思っていた。
その後六甲から神鉄の鵯越駅まで歩いたとき一の谷とは随分離れていることに何故かと疑問を以ていましたが、本日の講演で講師から下記の通り明解に解説あり納得できました。
ころは1184年2月7日の源平合戦は、平家方は生田ノ森に平知盛、一の谷に平忠度、山の手に平教経で
総計10万人に対し源氏方は源範頼は5万人で生田ノ森を攻め、義経は1万人で丹波・播磨を回って内7千人は西から一の谷へ残り3千が兵庫区の鵯越から一気に平氏のど真ん中を駆け下り平氏壊滅したのが真相とのことで、どうやら生田から須磨辺りまでを〔平家物語〕では一の谷と称したことであった。
本当に歴史は面白いですね。