織田信長が天下布武を旗印に天下統一に乗り出した時に、最も障害となったもののひとつに一向一揆がありました。
その一向一揆について、平成21年6月8日(日)・7月6日(日)の2回にわたり、兵庫県民会館において日本歴史学会の茨木一成氏から講義を賜った。
まず前提として、信長は決して宗教を否定したわけではないということのようでした。
「武士は武士らしく」と同じように、「僧は僧らしく」を主張しただけで、この時代の僧は『税金は払わず、肉食妻帯や武装をし、乱舞している』ことに対して、それらを排除しようとしただけで、現に信長に従った寺は全て安堵されている。
一般的には「浄土真宗=一向一揆」のイメージがありますが、戦国大名は一向宗は否定したが、真宗を否定したわけではなく、歴史的には別々であった両派が琵琶法師や山伏を媒介としてドッキングしたことから、石山合戦に発展していったらしい。
信長のやり方も性急さが否めないが、寺の内部も相当乱れていたようで、蓮如の文にある『生涯は50〜100年と人生ははかなく、妻子や財産もあてにならない。頼るべきは阿弥陀如来である。』がむなしく響く、世の中であったようです。