戦国・異才の人々より「足利義昭」

平成21年7月7日(火) 兵庫県芸術文化協会が主催する
今回で4回目の「ふるさとの歴史講座」に参加しました。
講師は今回も、茨木一成氏が担当されました。
今回のテーマは室町幕府最後の将軍、足利義昭です。
 将軍家に生まれるが、兄がいてお金に困窮していたので幼少の頃から仏門に入らされ、覚慶と名乗っていた。
 1565年、兄の13代将軍、義輝が三次3人衆に暗殺され義昭は奈良に幽閉されてしまう。
 将軍家には直属の家臣が居ないので、自分では何も出来ない。 将軍家再興を目指し、有力大名である近江国の六角承禎、越前国の朝倉義景などを頼るが、夢を叶える事は到底不可能だった。 
 1568年明智光秀のはからいで、尾張国の織田信長の擁護のもと、室町幕府15征夷大将軍の座に着く。 1570年織田信長に”殿中御掟”を突きつけられ、自分は信長の傀儡に過ぎない事に気ずき、信長と対立を深めていった。 
 そして本願寺顕如や甲斐国の武田、越後国上杉、中国の毛利、越前国の朝倉らに”信長討伐令”を出して包囲網を張らせた。 2度戦うが、所詮信長の敵ではなく、信長に捕らえられ河内国に追放された。
あれこれ策略を計ったが、所詮甘く育った人間が通用する時代はとっくに終わってた。
 今も昔も気位だけが高いと他人が大迷惑します。