イタリア人の生活と美術・ヴェネチア編

西公民館におきまして、平成21年7月17日(金)に「辻 弘兵庫教育大学教授」による標記講座が開催されました。
 今回は、アドリア海の女王としてのヴェネチアではなく、「海上都市と中世の医療」と題し、少し違った視点からのお話しでした。
 まず、ヴェネチアのルーツとしては、紀元前に小アジアから人々が到来し、最初は本土側に定住したものの、外敵の侵入により、追い詰められてついに海上にまで移動した由。
 海上都市は、水に囲まれ防衛には非常に適しており、かつ塩が取れるという特徴にも恵まれ、その後交易を手がけるに至ってたいへんな発展をとげました。
 その頃にはまだ貨幣がなく、ここでは労働の対価として 塩(伊:SAIE)をもらったことが起源で『サラリーマン』なる言葉が生まれたとのこと。
 ただ島都市のため、いったん病いが流行するとまたたくうちに広がり、ペスト(特に1348・1630年)では人口の半分を失ったようです。
 富裕層には高額ではありましたがクリニックが対応したのですが、貧困層には頼るべき施設がなく金持ちの寄付により病院(治らぬ人の行先)が建設されたとのことでした。美術的なお話しでは、主としてアカデミア美術館所蔵のテンペスト(ジョルジョーネ)や酒神祭(ティツィーノ)等があり、ヴェネチア派の特徴としては「光をおもしろく取り入れる」ことのように感じました。