近松のまち・尼崎

近松祭(CHIKAMATSU NOW)を間近にひかえ、平成21年9月
24日(木)に、尼崎女性センターにおきまして、井上勝志園田学
園女子大学准教授を講師に、標記講座が行われました。
 近松門左衛門は、吉江藩(福井県)の武士の家に生まれ、本名
は「杉森信盛」と云われ、江戸時代に活躍した日本が誇る劇作家
であることは、周知のとおりです。
 父の時代に福井から京都に出てきたわけですが、これは、元々
杉森家が公家の三条家とつながりがあったことから、容易に理解
は出来ます。
 近松は、この京都で浄瑠璃の「宇治嘉太夫」や「竹本義太夫」と知り合い、この道に入っていったらしい
 因みに、兄は大和郡山藩の武士に、また弟は母方の関係で医者になっています。
 近松は当初、浄瑠璃の他、歌舞伎の台本等も手がけ、幅広く活動していたようですが、世話物(世間で話題になった出来事)の作品である『曽根崎心中』が大ヒットし、また竹本座(大阪・道頓堀)の座付作者(専属作家)になってからは、72才で没するまで、浄瑠璃作者として君臨したとか。
 ただ、これだと「福井→京都→大阪」と居を移しただけで、尼崎とは何の関係もないようですが、実は尼崎の廣済寺の再興にあたり、開山講(再興グループ)にその名があり、その後も奉納等を行っていることから、足げく大阪から通っていたようで、結局没後にそのお墓も造られたようです。
 生誕の家や居住した家が特定出来ないのに、墓所のみが明解なのは不思議としか言いようがありませんね。