本能寺の変による秀吉の中国大返えしの起点となった高松城に
まつわる講座が、平成21年10月5日(月)に兵庫県民会館におい
て、茨木一成氏(日本歴史学会)を講師に開催されました。
中国地方進攻を信長から命ぜられた秀吉は、三木城や鳥取城を
武力で制圧し、また備前の宇喜多氏を調略によって味方に引き入
れた後は、いよいよ備中の高松城攻めを敢行しました。
しかし、高松城は沼地に囲まれた難攻不落の城で、総攻めをすれ
ば味方にもかなりの損害が出ることから、黒田官兵衛らスタッフの
策を採用して、近くを流れる足守川を利用する水攻めを行うことに決し、付近の農民に土嚢を作らせ、これを高額でしかも即金で買い取ったところ、635万個が集まり、たった12日間の日程で堤が完成した由。
すでに生野銀山を押さえていた秀吉には、かなりの財力があったことがうかがえます。
結局 本能寺の変を知らせる光秀から毛利方への密書が偶然にも入手でき、また京の長谷川宗仁や丹後の細川藤孝からの知らせもあって和議を急ぎ、天下人へと昇っていったのは周知のとおりです。
これは、単に幸運であったことのみにあらず、豊富な財力と優秀なスタッフに恵まれたから成し得たことで、現在の企業経営にも当てはまることだと感じたしだいでした。