邪馬台国論争への新視点

標記セミナーが、第1講座「女王卑弥呼の最期」(岡本健一氏)、
第2講座「邪馬台国と古墳」(石野博信氏)、第3講座「魏志倭人
伝印と周辺民族官印」(秋山進午氏)として平成21年10月10日
(土)に、大手前大学において行われました。
 内容は多岐にわたりますが、このセミナーのポイントは「邪馬台
国の九州説又は大和説」に終止符を打ったことだと思いました。
 本講座は、日本の3世紀頃を記述した中国発の「魏志倭人伝」
(三国志のうち、魏志書の中にみる倭人の条)の中に記載されて
いる『卑弥呼 以死す(イシス)』に注目していました。
 その意味するところは、①もって死す(自然死)、②すでに死す(自然死)、③よって(その結果)死す(不慮の死)、④死するをもって(不特定)のいづれであるかという議論で、結果中国の文献である三国志や史記にも「以死す」の言葉がたびたび出てきており、そのほとんどが不慮の死を表しているとのことでした。
 一方 3世紀の大和においては、百襲姫が不慮の死をとげている(箸墓古墳に埋葬)ことから「年代、人物事跡、墳墓等の一致」から『卑弥呼=百襲姫』であり、その女王の居場所の王都であるとの根拠から「大和説」が正解と結論づけておられました。
 日本書紀に端を発し、遠くは新井白石や本居宣長から近年では松本清張に至るまで研究、主張し合い、決着がついていない古くて新しい課題ですが、やはりまだすっきりしないですね。