10月23日(金)15時10分〜 関西学院大学総合研究室主催講演
日露戦争とジャーナリズムについて━もうひとつの『坂の上の雲』
講師:ノンフィクション作家 黒岩 比佐子氏
さて、「坂の上の雲」は司馬遼太郎の代表作ですが、ここでは、『坂の上の雲』で書かなかったことを当時の新聞・雑誌などから講師が調べ上げたことを話されことを2〜3紹介すると。
①加熱する戦争報道・・・日露戦争以前は新聞の発行部数は少なかったが戦争が始まると動向を知りたい読者が多数買い求める人が多くなり、その結果、新聞各社の競争が起き、そのためには読者の喜ぶ威勢のいい記事がさらに売れる(在阪の野球記事と同じ)ことにより、都合の悪いのは次第に書かれなくなった。(先の大戦と同じ) ②意外な敵「脚気」・・・日露戦争で戦死した兵士は約48,000人それに対して脚気で死亡した兵士は約28,000人と驚く数字で、左記の兵士はすべて陸軍とのこと、当時脚気はドイツでは伝染病と考えられていたことから東京帝大医学部はこの説を支持していたが、海軍では白米をやめパン・麦飯に切り替えた結果死亡者を出さずにすんだことを当時のエリート医学者たちは無視した、このころから学閥の弊害が起きている。(いまでも多くの弊害があるのでは?)
③講和と日比谷焼打ち事件 ご承知のように日本の国力はこれ以上戦争遂行が難しく米国の大統領に講和を仲介してもらったが、賠償金も取れないと新聞各社が書きたてたことにより焼打ち事件が起きた。
これらのことから、日本人はブームに弱く前々会の郵政選挙・今回の政権交代などは多分に報道に乗せられたのでは、講師いわく報道を鵜呑みせずに、冷静に判断する能力が問われているとのことでした。