秀吉も怖れた男 「黒田孝高」

日時:平成22年1月18日(火) 午後の部で実施。
場所:明石市男女共同参画センター
講師:茨木一成氏 (日本歴史学会)
 黒田孝高は通称名の「黒田官兵衛」という名で有名である。
 天文15年11月、黒田職隆の嫡男として生まれる。父は
播磨の豪族である小寺氏の家老を努めていた。
 早くから家督を譲られ家老となる。小寺家を織田家に橋渡し
したことで、歴史上で知られるようになった。
 その後織田家の中国地方の担当となった羽柴秀吉の、軍師のような存在になる。
 天正7年、秀吉は天下取りの為には(孝高)の智謀が必要だったため秀吉の家臣として招く。そして、秀吉のその後の天下取りにあたっても重要な役割を果たしたが、智謀が立ちすぎる為に主君の秀吉からも警戒されるようになる。
 また九州征伐の折には、それまで始末に徹して蓄えた金穀を惜しげもなく投じて浪人を集め、挙兵した。
 九州征伐後に豊前に12万5千石しか与えなかったのは、あまり大領を与えると天下を狙ってくると秀吉が怖れたからだとされる。
 歴史上で上位の人気者である「官兵衛」に、「官兵衛」のような智謀があればと男性は憧れているようです。