豊臣家最強のつんでれ 「福島正則」

平成22年2月2日(火) 午後の部で実施。
場所:明石市男女共同参画センター
講師:茨木一成氏 (日本歴史学会)
 永禄4年、福島正信の長男として愛知県で生まれる。
 母が豊臣秀吉の叔母だったため、幼少から秀吉に仕える。
天正11年賤ヶ岳の戦いの折には一番槍・一番首として
敵将・拝郷家嘉を討ち取って賞される。
賤ヶ岳の殊勲では七本槍と賞され、華々しい戦功を上げた。
 しかし、関ヶ原の戦いでは豊臣恩顧の武将ながら黒田長政に説得され、東軍に付き戦功を上げ安芸広島の城主となるが、その後許可無く城を改築したと因縁を付けられ信州に改易されてしまいます。徳川の豊臣恩顧の武将を抹殺していく策略と思われます。
福島正則は世間では武勇一点張りの粗暴な武将と評されていますが、その実像は義理人情に厚く不器用なまでに一途に生きた人物であります。
 幼少より秀吉に仕え豊臣家の存続を願いながらも、後に家康に仕えたのは太平の世の到来を希求すればの、苦難に満ちた決断でした。
 曲がったことが嫌いで忠誠心が高い武将であります。今のオレオレ詐欺には爪の垢でも飲ませたい心境です。