日 時 平成22年2月20日(土)
場 所 宝塚東公民館
講 師 槌賀七代氏(大阪女学院大学特任講師)
宝塚、川西、伊丹、西宮、豊中、池田等々、いわゆる「摂津」と
言われるこの温暖で自然豊かな地方が、文学作品にどのように
紹介されているのでしょうか。
まずそのロケーションですが、長尾山系を背景に武庫川・猪名
川等の水に恵まれ、その昔からたいへん住みやすい土地であっ
たようです。
しかしそのような地域ではありましたが、結局日本の中心「都」とは成り得なかったのは何故でしょう。
万葉集では、流れが速い川として武庫川(写真)が、また深い川として為奈川(猪名川)が詠まれていますがその数は少なく、これは西国への路沿いであり、有馬温泉への道筋に過ぎなかったからのようで、いわゆる通過点に位置していたことが大きいようです。
中世においても、わずかに今昔物語や謡曲に登場するとかですが、やはり都の律令制度の力が及ばない田舎であり、土地の豪族の力が大きかったことも原因のひとつかと思われます。
それでも、鬼退治の源頼光、金太郎の坂田金時、坂上田村麻呂を祖とする坂上党の名が歴史に残っていますし、浄瑠璃にもこれらの人々が登場します。
つまるところ、文学的には「摂津」は中心的で重要な場所ではないが、伝承の背景には何気なく登場させられる適当な所ということでしょうか。