日 時 平成22年4月15日(木)
場 所 ルナホール
講 師 山下善也氏(京都国立博物館室長)
豊臣秀吉や千利休を魅了した絵師・長谷川等伯の生涯について、
没後400年を記念して行われている展覧会での展示物をからめな
がらのセミナーがありました。
等伯は今の石川県七尾市の奥村家(武士)に生まれましたが、
幼くして長谷川家(染物業)へ養子に入ります。
若い時は北陸の寺院(特に日蓮宗)を中心に仏画を制作していましたが、絵師としては決して若くない34歳の時に上洛し、奥村家ゆかりの本法寺に身を寄せます。(武田信玄没の頃)
しかし歴史的にはその後51歳までの17年間が空白になっており、詳細が不明なのですが、おそらく狩野派に入門し絵の勉強に没頭していたのではないかと推測されます。(この間、本能寺の変〜賤ヶ岳の戦い〜秀吉関白に就任)
またこの間に堺の茶人との交友を深め、千利休とも接触したことからチャンスが巡ってきて、51歳の時に大徳寺三門に壁画を描き、その後関白秀吉から亡くなった長子・鶴松の供養にと、禅寺のふすま絵を任される等してついに都の一流絵師の仲間入りを果たします。
最後は徳川家康に招かれ江戸へ下向しますが、老齢と心身の疲れからか江戸到着後2日目に帰らぬ人となってしまいます。(享年72歳)
残された「松林図」等は名作中の名作ということで国宝にも指定されていますが、実はこれは下絵であるとのウワサもあり、そんなミステリアスが余計に我々を引き付けるのではないのでしょうか。