日 時 平成22年5月22日(土)
場 所 大社公民館
講 師 山内英正氏(甲陽学院高校教諭)
壬申の乱(672年)にて天智天皇(中大兄皇子)の長男
大友皇子を破り、帝位についた天武天皇(大海人皇子)の
親王達が万葉集に残した和歌をご紹介いただきました。
長男の高市皇子は壬申の乱で総指揮官を務め、天武の
最も信頼できる皇子でありましたが、母の身分が低いため
皇太子にはなれず、それでも太政大臣にまで上りつめており、彼は万葉集に歌三首を残していますが、いづれも十市皇女(大友皇子の妻、母は額田王)の不遇を偲んだものでした。
次男の草壁皇子は持統天皇を母に持ったため皇太子となりましたが、病弱のため天皇になれずに没しており、万葉集にはわずかに石川女郎への恋歌一首のみを残しています。
三男の大津皇子は誅反により逮捕され、24才で死を賜っていますが、やはり石川女郎への恋歌を詠んでおり、草壁皇子と三角関係にあったようです。
石川女郎へ、草壁皇子は「大名児を 彼方野辺に 刈る草の 束の間も 我忘れめや」と、また大津皇子は「あしひきの 山のしづくに 妹待つと 我立ち濡れぬ 山のしづくに」と各々詠みましたが、石川女郎からは大津皇子に「我を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを」との返歌があり、大津皇子は政治的には敗北したものの、恋には勝ったことになります。
その他、忍壁皇子(四男:万葉集なし)、磯城皇子(五男)、舎人皇子(六男)、長皇子(七男)、穂積皇子(八男)各親王の歌のご紹介もしていただきました。
(イラストは、天武天皇)