ロマン表現と伝統意識の葛藤

日 時 平成22年8月25日(水)
場 所 神戸松蔭女子学院大学
講 師 木村 勲氏(同大学教授)
 明治維新という革命的時代を迎えた頃、与謝野鉄幹はロマン
主義文学運動を展開すべく、そのひとつの手段として「明星」を
創刊いたしました。
 この時から後に妻となる鳳晶子は社友としてこの「明星」に
短歌の投稿を行っています。
 晶子には、恋と作品のライバルとして、山川登美子(小浜藩の家老の娘)が存在し、早くから競り合ってきましたが、登美子は親の定めた人と結婚し、1年で死別します。
 登美子は、「いかならむ 遠きむくいか にくしみか 生まれて幸に 折らん指なき」と自分の薄幸を詠んでおり、一方 晶子は、「やわ肌の あつき血汐にふれも見で さびしからずや 道を説く君」と鉄幹に対する心情を表現しています。

当時 フランスやベルギーを中心にアールヌーヴォ(新しい
芸術)ブームが起こり、鉄幹も「明星」の表紙にこれを採用
したのが右の写真の絵柄で、大きな反響を呼びました。
 また晶子も日露戦争のさなか、「君 死にたまふこと勿れ」
を発表し、世間の注目をあびました。
 このように、両人は世の中を少し斜めに見ながら活動を
進めました。