平成22年9月7日(火) 午後の部で実施
場所:明石市男女共同参画センター
主催:(財)兵庫県芸術文化協会
講師:茨木一成氏 (日本歴史学会会員)
日露戦争下での「反戦詩」といえば、まず思い浮かべるのが、
与謝野晶子の「君死にたまふこと勿れ」です。この、”明星”
明治三十七年九月初出の長詩は、その一月後、大町桂月に
よって「危険思想」と非難されます。晶子は「ひらきぶみ」の
なかで、「あれは歌に候」自分は、「まことのなさけ」「まことの道理」によって歌を詠む以外術を知らないのだ、と歌詠みの態度へと論点をずらし、危険思想でも何でもないと主張しました。
同様に、大塚楠緒子は小説の指導を夏目漱石に受け、ロマン主義的な作品を数多く発表します戦争下の女の悲しみを詠った詩「お百度詣」は晶子と並称されています。
才色兼備で知られ、樋口一葉亡きあとの明治30〜40年代の文壇で、女性としては一番の売れっ子となり、夏目漱石との愛が云々されています。
明治43年、流感に助膜炎を併発し僅か35歳で死去。夏目漱石は「あるほどの菊投げいれよ棺のなか」という句を詠み嘆き悲しんだそうです。
明治のこの時代には、女性の地位がかなり上昇していたのが伺えます。