考古学からみた新邪馬台国論

日 時 平成22年11月12日(金)
場 所 芦屋公民館
講 師 池沢 薫氏(橿原考古学研究所)
 江戸時代から綿々と続いている邪馬台国論(大和説or九州説)
について考古学という方向から見たひとつの見解をご披露いただ
きました。
 「魏書」倭人伝によれば2世紀後半に「倭国乱」が起こり、男王
では収拾がつかず、女王卑弥呼を共立して戦乱は収まったとか。
 「共立」とは、①皆で協議して決める、②正式の王位継承ではない・・・の意で、その時期は3世紀初め頃であったとのことです。
 一方 大和の纒向遺跡は、その出土品(土器・鉄)、前方後円墳の誕生、大和を中心とした物流・・・等々から、その出現は3世紀初めとされ、「卑弥呼の共立の時期」と「纒向遺跡の出現の時期」がほぼ一致することから・・・

纒向遺跡=大和王権の大王都=卑弥呼政権の都=倭国の中枢と
仮定すると、纒向遺跡が邪馬台国である可能性は否定できないと
結論付けられました。
 ただ、卑弥呼がどこから共立されたかとなると、元々大和に居た
か、九州の伊都国あたりの王女であったか、はたまた帯方郡(朝
鮮半島)から派遣されたか等が考えられ、全くの謎と言わざるを
得ないとのことでした。