明治の偉人 「乃木希典」

平成22年11月16日(火) 午後の部で実施
場所:明石市男女共同参画センター
主催:(財) 兵庫県芸術文化協会
講師:茨木一成 氏(日本歴史学会会員)
 陸軍軍人、長府藩士の子で、本人の実力以上に祭り上げられ
ました。乃木大将は、激戦地となった旅順の203高地を攻略し
日本は勝利しましたが、203高地で日本兵を約1万6千人も死
なせたのは、乃木大将の無策・無能が原因とされています。
 この戦争はロシア軍に比べ日本軍兵員の損害が極めて多かったそうです。
 ロシア軍の戦闘員は総勢で4万5千人死傷者は1万8千人余り。さらに、この内死んだ者はわずか2千から3千人に過ぎません。
 大要塞に守られて巨大な火力を持っていたとはいえ、これだけの激戦で死者が2千から3千人というのは、攻撃側の日本軍に比べて極めて少ない。
 日本軍は兵力10万。 そのうち死傷6万2百人で、6割の損害というのは世界戦史の上でも希な数字であります。
 日本軍人の被害が余りにも多いので、同じ長府藩の児玉健太郎が、一日だけの乃木から指揮権を奪って大砲でロシア軍を攻撃し僅か半日で陥落させました。
 しかし、乃木大将がロシア軍の旅順要塞を陥落できなかったら、満州と朝鮮半島は植民地化され、さらに日本もロシアの植民地になったのは間違いありません。
 また、羸弱な基盤しか持たない日本を、近代国家としての日本の為、青年達が自己と国家を同一視し、自ら国家の一分野を支えようとするのは、明治期特有の人間像といえます。