平家物語にイメージをみる

日 時 平成22年11月27日(土)
場 所 大手前大学
講 師 以倉紘平氏(日本現代詩人会)
 人はいつか大切な言葉と出会い、その言葉がイメージを育て、
時にはその人の生き方をも変えると言われています。
 詩人である氏は、平家物語の冒頭に出てくる「沙羅(サーラ)」
に、それを感じたとのことです。
 平家物語は、「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅
双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。奢れる人も・・・」で始まりますが、祗園精舎はインドの建物であり、沙羅は梵語のサーラでやはりインドの植物であって、それらがエキゾチックでおも悲しく、そして甘美な表現のようにも感じられます。
(平家一門の鎮魂のみならず、この物語に出てくる全員のレクイエムなのでしょう。)
 29才で出家し、35才で悟りをひらいて修行完成者になったブッダ(釈迦)が、晩年に故郷を目指して旅をするも、力つきてクシナガラという所で二本並んだサーラ樹(沙羅双樹)の間に横になって最期を迎えますが、その時沙羅双樹は時ならぬのに花が咲き、満開となってそれらがブッダの供養のためにその体にふりかかり、降り注ぎ、散り注いだと言われています。
 これらのことから氏は、「サーラ」「樹下幻想」「この世は沙羅の木陰にある」「サーラの木があった」等々の詩を次々と創作・発表されました。
 私達が死を迎えた時に降ってくるものは、はたして何なのでしょうか。
 おそらくは、かけがえのない最愛の人の言葉のようなもので、それこそが私達の「サーラの花」ではないかと思われます。