日 時 平成22年12月11日(土)
場 所 大手前大学
講 師 以倉紘平氏(日本現代詩人会理事)
平家物語はレクイエム文学で、涅槃(仏教における理想の
境地・悟り)へのいざないで、卷一の冒頭では「諸行無常」を
最後の別卷・灌頂卷では「寂滅為楽」を説いています。
祗園精舎の西北の角(日の没する処)には無常堂があり、
ここは、「諸行無常・是生滅法・生滅滅巳・寂滅為楽」の世界
をかもし出してる由です。
物語の英雄達(平 清盛、木曽 義仲、源 義経・・・ )も確かに華々しい活躍をしますが、やがて無常のときが訪れます。
ただ、それなら生きていてもしようが無いのかと言えば、決してそうではなく、『無常=向上』でもあり、その瞬間・瞬間はすごく光り輝いていました。
またこの物語には、目に見えないレクイエムも隠されています。
たとえば、平 六代(清盛の曽孫・←惟盛←重盛←清盛)は、平家滅亡後も生き延びて(10年後には斬られて死ぬが)、父・惟盛が入水自殺した南紀の浜宮を訪れて海岸の砂に指の先で仏を描き、父の後世を弔っています。
さらに、建礼門院(清盛の娘、高倉天皇の妃、安徳天皇の母)は壇ノ浦で捕らえられ、京都の寂光院において尼となって、ささやかな岩の狭間に咲く躑躅の花を一門にたむける等して一生を鎮魂に捧げています。
諸行は無常で過ぎ去るものだからこそ、生きているその一瞬こそ輝くのだとも言えます。