〜邪馬台国問題の現状と課題〜

日時 平成23年2月16日(水)
場所 宝塚市立東公民館
講師 直宮 憲一氏(宝塚市教育委員会)
 邪馬台国はどこかまた卑弥呼はどのような人物か興味がそそがれ、報道・講演ではいつも古代のロマンに浸れます。
 さて、昨年奈良県桜井市の「纏向遺跡」から壮大な建物跡が出土しやはり邪馬台国の跡ではないかと新聞紙上を賑わしていましたが、 この邪馬台国とは「魏志倭人伝」の記述から邪馬台国はどこにあったのか永年日本人の関心の的だったが、そもそも8世紀の日本書記には3世紀の邪馬台国の所在の記述がなくその後江戸、明治、昭和から今日にまでその研究結果概ね「大和畿内説」と「九州説」の両説が一歩も引かない論争なっている。
 (1)「魏志倭人伝」の記述から読み解き大和畿内説と九州説に分かれそれぞれ都合の良いように行程を解釈し長い間論争が続いた。①連続式読み方から大和畿内説を正当化する解釈。②放射式読み方から九州説を正当化する解釈。 (2)考古学から
 ①銅鏡100枚を魏から下賜された記述から魏時代の銅鏡が大和古墳群から多く出土していることから大和畿内説。②一方北九州の古墳からは鉄器類は出土されているが、大和古墳群では皆目出土されていないことから九州説が有力ともいわれる。③吉野ヶ里遺跡から宮殿、楼観、城柵跡の発掘から九州有力説。④昨年の纏向遺跡から宮殿跡の発掘から3世紀ごろにこれだけの規模の遺跡は ないことから大和畿内説。これからもまだまだ論争がつづくのでしょう。
その後の「纏向遺跡」からは最近桃の種が2000個以上出土され、すなくともヤマト朝廷につながる遺跡であると思われる、さらなる発掘が楽しみです。