大伴家持と天平時代

日 時 平成23年3月6日(日)
場 所 夙川公民館
講 師 山内英正氏(甲陽学院高等学校)
 大伴家持が万葉美の世界を開花させた天平時代は、万葉集の
編纂の他、政争の時代でもありました。
 年号は通常2文字で表しますが、この時代は例外的に4文字の
年号が使われており、天平→天平感宝(聖武天皇)→天平勝宝
(考謙天皇)→天平宝字(淳仁天皇)→天平神護(称徳天皇)と
なっており、万葉集は天平宝字3年に終焉しています。
 家持は14才の時に父・旅人が亡くなり、若くしていち族の長に就任し、武人の家柄ながら山上憶良の影響を受けて歌人としても万葉集に歌を数多く残しています。
 最初は16才頃で、「振り放けて 三日月見れば 一目見し 人の眉引き 思ほゆるかも」があります。
 21才で内舎人(天皇の雑事担当)となり、政治の世界に入って行きますが、一方では草花を愛し、特に「なでしこ」の歌が多く見受けられ、「秋さらば 見つつ偲へと 妹が植ゑし やどのなでしこ 咲きにけるかも」等と詠んでいます。
 やがて越中国守に任官して都を離れる頃から彼の才能が著しく花開き、数々の作品を生み出しますが、聖武上皇が崩御しますと藤原氏出身の光明子が産んだ考謙天皇の世となり、藤原仲麻呂が権力を握ると大伴氏は徐々に没落していきます。
 そして「新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやし頻け吉事」を最後に万葉集を閉じました。
 この間、藤原広嗣の乱・聖武天皇の東国行幸→恭仁京遷都・橘奈良麻呂の変等武人としても心休まる時のない日々を過ごしたようです。