日 時 平成23年4月12日(火)
場 所 池田泉州銀行
講 師 太田浩司氏(長浜城歴史博物館)
大河ドラマで時代考証のスタッフとしてご活躍の太田氏から、
戦乱の世を生き抜いた浅井三姉妹の三女・お江について、お話
しをお伺いいたしました。
北近江を50年間支配してきた浅井家の三代目当主・長政と
尾張の織田信長の妹・市との間に産まれた三姉妹は、小谷城
落城時は、5才(茶々)・4才(初)・1才(江)で、やがて秀吉に引き取られます。
おごうは、江・督・五・江与等と書き、死後には達子・崇源院とも呼ばれ、従一位を贈位されています。
彼女は、12才で大野城主・佐治一成に嫁入りするも秀吉によってすぐ離縁させられ、20才の時に岐阜城主・羽柴小吉秀勝(秀吉の甥)に嫁ぎます。
しかしまもなく夫が病死し、23才にして6才年下の徳川秀忠の正室となって二男五女を産んでいます。
お江の子供達は、男子は竹千代(三代将軍家光)、国松(駿河
大納言忠長)で、女子は千姫(豊臣秀頼の妻)、珠姫(前田利常
の妻)、勝姫(松平忠直の妻)、初姫(京極忠高の妻)そして和子
にいたっては後水尾天皇の中宮となって後の明生天皇(女帝)を
産んでいます。
浅井の血は天皇家にまで引継がれ、正に女性として頂点を極
めた人物であると言えます。(写真上:母の市、下:江の肖像画)