〜密告により廃后された井上内親王について〜

日時 平成23年6月3日(金)
場所 伊丹市立中央公民館
講師 大江 篤 園田学園女子大学教授
井上内親王は聖武天皇(天武天皇系)の長女として生まれたが母方は渡来人系だったこともあり一つ下の光明皇后の子供が内親王(後の孝謙天皇)になったことから五歳の時に伊勢神宮の斎王として19年間出仕した後、平城京に戻り数年後白壁王(後の光仁天皇・・天智天皇系)の妃になり38歳で酒人内親王を生んでその後45歳で他戸親王を生んでいる。770年白壁王(62歳)が49代天皇に即位したことにより井上内親王(54歳)も皇后に、息子の他戸親王も皇太子にそれぞれ就く。772年井上内親王は密告により巫蠱(ふこ・・巫女に天皇を呪い殺す祈祷をさせること)の冤罪をきせられて皇后を剥奪され他戸親王も連座して皇太子を剥奪された。鎌倉初期に記した歴史書「水鏡」によると、「后は呪詛をして、その呪物を井戸に入れさせ、御門(みかど、光仁天皇)の早死を願い、我が子東宮(他戸皇太子)を位につけようと願った」と書かれているが真偽の程は分からない、あるいは永く斎王についていることから特別な呪詛能力があると思われたのか。775年井上内親王59歳、他戸親王15歳でそれぞれ獄死している。その翌年、翌々年に天変地異がしきりに起こり廃后、廃太子の怨霊の仕業と恐れられたと「水鏡」に記述がある。なお、井上内親王の妹不破内親王も769年称徳天皇を呪詛していると密告され遠流されている。聖武天皇の娘にもかかわらずこの姉妹は誠に気の毒な生涯であったと思われる。何故云われもない言い掛かりをつけられたのか、その背景には天武天皇系と天智天皇系が反目し合っていた中で孝謙(称徳)天皇死後急速に天武系が力を無くしたことと井上内親王には母方の力がないことから退けられたのでしょう。天変地異が起きるのは、現代人からみればすべて自然現象であるがこの時代の人は怨霊として恐れたのでしょう。