関が原の人々 「宇喜多 秀家」

平成23年6月7日(火)午後の部で実施
場所:明石市男共同参画センター
主催:(財)兵庫県芸術文化協会
講師:茨城一成氏 (日本歴史学会会員)
 関が原の戦いでは石田三成らの西軍に付き、合戦では東軍の
福島正則らと互角に戦うも、西軍の敗戦により戦後、宇喜多家は
改易処分になってしまいました。その後、秀家は薩摩の島津家に
身を寄せていましたが、風評により徳川家康にばれてしまいます。
 しかし、前田利長の娘の豪姫の懇願により駿府への追放となり、何とか死刑だけは免れました。
 豊臣秀吉にかわいがられ、挫折なく順風満帆に見えた人生でしたが、関が原の敗戦で全てが変わりました。関が原の戦いでは秀家は大黒柱的な存在です。全力を出して戦ったものの、敗れた後に残っていたのは八丈島に流され、一生をそこに捧げる人生でした。しかし、死を選ばず八丈島で生きながらえた秀家の人生は、強くてカッコ良いと講師は言われましたが、私もそう感じました。
 現代人も強くてカッコ良くなる必要があります。
 今日本は、震災と津波、その上原発災害という今まで経験したことのない将に、10万年に一度の災害が日本を襲っています。今から10万年後の人類が日本語、英語他の言語を解読できるかは不明です。
 今から10万年後の人類のために、今の後始末は済ませておかなければなりません。
 それが宇喜多秀家のような「カッコ良い」生きかただと思います。