阪神間の事業黎明期

日 時 平成23年6月18日(土)
場 所 大手前大学
講 師 尾崎耕司氏(大手前大学准教授)
 明治維新後の事業黎明のひとつに「マッチ」の製造がありま
すが、先の阪神大震災によってくしくもその一端が明らかにな
ったとのこと。
 すなわち大震災時に西宮の辰馬本家(白鹿)も被害にあい、
そのガレキの下から前述に関する貴重な古文書が見つかり
 また時を同じくして門戸厄神の東光寺からも当時代官であった中島家の資料が見つかった由です。
 その中島家に辰馬本家・10代目当主の三男(成教氏)が養子として入り、実家の辰馬家と共同出資して当時監獄で製造していたマッチ製造場(神戸)の払い下げを受け(明治17年)、手広く商売をしていたとのことです。(日出館)
 しかし、発見された古文書によれば、この事業は長くは続かず、6年半ほどで廃業に追い込まれてしまいます。
 その主な理由は、「囚人労働のうまみのなさ」や「同業者の増加による競争激化」さらに「銀貨の高騰」「外国商社への委託販売の失敗」等々でした。
 その後、多くの業者はゴム関係に事業を衣替えしていったそうです。