日 時 平成23年7月16日(土)
場 所 門戸会館・松風館
講 師 大崎正雄氏(松風館館長)
1995年の阪神淡路大震災時に門戸厄神(西宮市)近辺も
旧家のほとんどが崩壊しましたが、周辺住民の協力もあって
旧家に伝わる史資料が救出されたことに伴い、東光寺では
これらを整理・保存するために松風館を開館された由にて、
その保存されている古文書の中から今回は尾張藩石河家
知行地の代官であった中島家の資料について解説をしていただきました。
門戸一帯はその昔「甲東村」と呼ばれていて、上原新田・下大市・上大市・下段上・上段上・樋口新田と門戸村の7ヶ村から形成されていましたが、門戸村を除いて他は尼崎藩のものでした。
唯一 尾張藩の知行地であった門戸村の代官を中島家が務めていてわけですが、その古文書には明治維新前夜(蛤御門の変やええじゃないか踊り等)の様子が生々しく書き記されてあり、その一端を松風館で見せていただきました。
明治の頃の中島家は、辰馬家から養子に入った成教氏が当主で、彼はマッチの製造や阪神電鉄の設立にも大きく貢献し、また士族であったこともあって地域の教育の発展のため、政府から「学区取締り」にも任命されていました。
(写真は、「松風館」の入口です。)