住宅都市・阪神間の軌跡

日 時 平成23年9月30日(金)
場 所 芦屋公民館
講 師 竹村忠洋・坂田典彦氏(芦屋市教育委員会)
 江戸時代は田畑が広がる阪神間一帯でしたが、明治時代末期
から大正・昭和にかけての住宅都市への変貌の軌跡を芦屋市を
例にお話しをお伺いいたしました。
 まず明治22年に、芦屋村・打出村・三条村・津知村の四か村が
統合されて精道村となりました。
 因みに、それまでは前二か村は天領、後二か村は尼崎藩に属し、静かな農村・漁村でした。
 それが、明治38年に阪神電車が開通するや、人や物の流れが一変し、駅を中心に急速に住宅が次々と建設されて、大阪や神戸のベッドタウンとして、人口も急増していきます。(40年間で約10倍に・・・)
 この近現代の歩みは、市内の呉川遺跡からの出土品にも現れており、西国や東京から持ち込まれたであろう各種の品々が、物流の多様性を物語っています。
 やがて精道村は昭和15年に芦屋市として市制が施行されますが、その直後の大戦で市の40%を消失してしまいます。
 しかし、戦後の昭和26年に「芦屋国際文化住宅都市建設法」の公布により、現在のような全国に誇れる住宅都市として再生・発展していったのです。
 そして、今や芦屋市は高級住宅地としての地位を不動のものにいたしました。