不可視のものの表象と政治

日 時 平成23年10月1日(土)
場 所 関西学院大学
講 師 上田和彦氏(関西学院大学教授)
 私達は絵画や彫刻など芸術を鑑賞するときは普通美術館へ
行きますが、これはここ200年ほどのことで、それ以前は主と
して教会や神殿にあって礼拝するものでした。
 しかし時代が君主制から民主制へ移行すると、芸術もまた
聖なるものとしてのみではなくなりました。
 そして政治が芸術をメディアとして利用してくることになります。
 ひとつの例としまして、ナチスドイツがあげられますが、ナチスは民衆に訴えるメディアとしておおいに映画という芸術を利用しました。
 たとえば、1936年の第11回オリンピック・ベルリン大会の模様をドキュメンタリーとしての記録映画を制作させますが、内容的には巧みな政治利用で、平和を志向するがごときドイツ像を国際的にアピールするものでした。
 これと対峙するのが、その後に制作された映画・SHOAH(絶滅)で、ナチスによってガス室へ送られ、奇跡的に生き残ったユダヤ人の証言記録映画です。
 この映画でユダヤ人の虐殺を可視化することは出来ませんが、彼らの証言によって観客はこの事実を忘れてはならないと訴えていることは容易に理解できます。