関が原の人々 「細川 ガラシャ」

平成23年10月4日(火) 午後の部で実施
場所:明石市男女共同参画センター
主催:(財) 兵庫県芸術文化協会
講師:茨木一成氏 (日本歴史学会会員)
 細川 玉(細川 ガラシャ)は、明智光秀の娘であります。
1578年細川忠興の妻となりました。忠興の父、幽斎はキリシタン
に反感を抱いており、禅宗に傾倒していました。玉は超人的な
能力を有していて、禅僧の教えにも、自分の質問に対する彼ら
の答えにも満足していなかったそうです。1578年本能寺の変により、光秀の娘である玉は丹後の山奥、三戸野に幽閉されますが、二年後には秀吉の許しを得て大阪玉造の細川邸に呼び戻されますが、夫忠興は玉の外出を禁止しました。 秀吉が死に、細川忠興は苦境に立たされます。石田三成は関が原の戦いを目前に、諸大名の側室を人質にするため大阪城に登場を命じます。(その時玉はすでにキリスト教に入信していましたが、忠興には内緒でした)このことを予測していた玉(ガラシャ)は、自害を禁止しているキリシタンの司祭に相談し、その手段を考えていました。三成の使者が来ると、打ち合わせどうりに家臣に首を討たせ、火薬をまいて全員自害します。 細川忠興は関が原の戦いでは東軍(家康側)に付きました。
このころ、仏教に絶望しキリスト教になった大名が増えました。あの時代は世の中に捨て子が増え、キリスト教が捨て子を拾っていき、協会では外科手術を無料で行ったそうです。
 女性は何時も家の恥にならないようにと、手を下されていました。