工業都市と田園都市

日 時 平成23年10月28日(金)
場 所 芦屋公民館
講 師 桃谷和則氏(尼崎市立文化財収蔵庫)
 阪神間の各市は少なからず工業都市と田園都市の2面性を持ち
合わせていたように思われましたが、今回はこれが顕著な尼崎市
にスポットをあてたお話しでした。
 尼崎市は古くは弥生時代に北部が陸地化されて人が住み始め、
8世紀頃には淀川と神崎川を結ぶ水路も出来た由です。
 また戦国時代には、信長〜秀吉の支配を受けたところでもあります。
 さて市の特徴ですが、南部は明治22年に尼崎紡績の創業が契機となって徐々に工業化がすすみ、大正時代に起こった第1次世界大戦がもたらした好景気で、鉄鋼・金属・化学・エネルギー等の大工場が次々と建設され、一大コンビナートを形成いたしました。
 一方 北部は大正9年に阪急電車が開通しますと、駅(塚口・園田・武庫之荘)周辺のまちづくりが活発化し、大規模な宅地開発が行われて田園都市として発展いたします。
 因みに田園都市とは、大都市郊外の田園地帯の住宅地で健康的に暮らそうとするまちのこととか。
 このように南部は工業都市として、また北部は田園都市として成熟してきました。
 ただ尼崎と言えば、「公害のまち」とのイメージが強く、これは南部の工業地帯からくるものですが、現在は室戸台風や阪神大震災等の影響もあって様変わりし、緑多きまちへと変身しているとのことでした。