戦国大名の先駆け「北条早雲」

日時 平成23年11月16日(水)10時00分〜12時
場所 宝塚男女共同参画センター
講師 みれん歴史歩こう会 の皆様方
北条早雲と云えば下剋上の代名詞のように云われ続け斉藤道三・松永久秀らとともに三梟雄の一人として云われていだが、1984年司馬遼太郎の小説「箱根の坂」から大きく評価が変わり素晴らしい人物であったと理解するようになった。
(これはブログ作成者の勝手な判断です)
早雲の生国については諸説あるが最近の研究では備中伊勢氏の出で伊勢盛時(盛時の存命中に「北条早雲」の名が使われたことは一度もないがここでは早雲とする)で妹が、今川義忠と結婚するぐらいからして、室町幕府に仕えた身分の高い一族だったことが判明しており、家格も申分が無かったようだ。
彼が世に出るきっかけは今川義忠横死から今川家で跡目騒動が起き、妹の要請で調停するも早雲56歳のとき今川騒動の再熱から小鹿範満を討った功により城主となり、それを足掛かりに伊豆一国を奪い小田原城の大森氏、相模の三浦氏と討ち、次々と版図を広げて87歳で息子に家督を譲るまで現役で活躍する。
早雲の領国では税は四公六民でこの時代六公四民が相場からして安く隣国の民からうらやましがれたとも、また『早雲寺殿廿一箇条』では、『上下万民に誠実に接すること』とあるこの家訓により代々藩主に引き継がれ北条五代100年が続いた基礎を築いた人物であった。
もっと評価が上がってもいい人物ではないでしょうか。