歴史小説にみる遠藤文学

日 時 平成23年11月22日(火)
場 所 プレラにしのみや
講 師 細川正義氏(関西学院大学教授)
 遠藤周作は母が敬虔なクリスチャンであったことから、当初
はイヤイヤながら教会に行っていましたが、それでも灘中学に
入学した頃には受洗しています。
 長じてフランスのリヨン大学に留学して西欧の風を直接受けて
ヨーロッパにおけるキリスト教を実感しました。
 彼の歴史小説の時代は『信長〜秀吉〜家康』の頃に限定されていますが、これは時の権力者の政策遂行の都合によって、キリスト教が保護されたり弾圧を受けたりしたことと深く関係しているようです。
 昭和51年の作品『鉄の首枷』はキリシタン大名・小西行長を扱い、斬首(死)を前にした行長が、ゴルゴダの丘のイエスと比べて慰めを見出すものであり、昭和55年の作品『侍』では支倉常長が最後に真の信仰に目覚める姿を描いています。
 また平成4年の作品『王の挽歌』では、大友宗麟を取り上げ、やはり死を前に「1日とて悔やまぬ日はなかった。」と懺悔するのに対し、かたわらの神父は「ならば、神はお許しくださいます。」と答える場面で、安らぎを表現しております。
 戦国時代は、オモテでは権力者に従順に仕え、ウラで信仰を持つという『面従腹背』を強いられますが、基本的には信仰を守ってきたことを明らかにした遠藤ならではの文学と言えるでしょう。