日時 平成23年11月29日(火)
場所 鳴尾公民館
講師 霜澤喜代子氏(西宮東高校)
11月25日に続いて第二部「平家一門の栄華」と題して保元の乱、平治の乱の勝ち組に乗った清盛は強運の持主だったようで、その結果二条天皇の推挙により42歳で正三位・参議に昇進し、武士として初めて公卿の仲間入りを果たした。その後次々と出世し49歳では従一位太政大臣までのぼりつめ、朝廷の要職や高位高官を一門で固め、公卿会議を支配して行く体制を確立した。「平家物語」では「この一門にあらざらむ人は、皆人非人なるべし」という平時忠(清盛の妻の弟)の言葉がこの実態を物語っている。 やがて天皇、上皇に取り入る一方摂関家(藤原氏)にも接近して平家一門から高倉天皇、安徳天皇〔清盛の実の娘 徳子(建礼門院)の生んだ子供〕を出すことにより清盛はようやく外祖父として政治の全実権をにぎることになる。
この間の進め方を平家物語では清盛を悪人として書かれていて、長男重盛の起した「殿下乗合事件」まで清盛の起したことにされていた。
このように歴史的には良い評価を得ていないが、一方中国との貿易を盛んにするため「音戸の瀬戸開削」や大輪田泊(現神戸港西側)の整備を私費で行い日宋貿易を通じて商業を発展させた功績は近年ようやく評価されつつあるようです。