「夢の記」の清僧・明恵上人

日 時 平成23年12月6日(火)
場 所 宝塚市立男女共同参画センター
講 師 からあい企画の皆様
 明恵上人は19才から見た夢を記し始め、死ぬ1年前まで書き
継いだ「夢の記」(重要文化財)の作者として有名ですが、僧位・
僧官を受けず、また宗派にもこだわらず、自己修行された清僧
でもありました
 幼少の頃に両親を失った明恵は、叔父の上覚を頼って文覚の
弟子になります。
 そして16才で東大寺で具足戒(正式な僧侶の戎)を受け、やがて尊敬する釈迦の故郷・天竺行きを何度か計画しますが、いづれも引き止められて中止しています。
 やがて後鳥羽上皇から高山寺を賜りますが、本来放浪しながら修行していた明恵は、1カ所に留まり、また多くの人に説教する立場になっていきます。
 また承久の乱後は後の執権・北条泰時と法談し、泰時をして「自分が今あるは、明恵上人のおかげである。」と言わしめています。
 高山寺は、イタリアはアッシジの聖・フランシスコ教会と兄弟関係になった由ですが、聖・フランシスコもまた清貧を貫いたキリスト教徒であり、「全てが兄弟として平和に生きていくためには、人間はもっと質素になる必要がある。」と説かれた人物で、明恵上人と相通じるところがあります。