関が原の人々 「藤堂高虎」

日時:平成24年1月17日(火) 午後の部で実施。
場所:明石市男女共同参画センター
主催:(財) 兵庫県芸術文化協会
講師:茨木一成氏 (日本歴史学会会員)
 藤堂高虎は、外様大名ながら徳川十七将に数えられています。
身長は約190cm、体重約110kgの当時としては恵まれ
すぎた体を持っていました。主君を七回も変えていることから、
当時は不義理者として不当に評価を落としてしまいますが、
主君を裏切った事はなく、自分を評価してくれた者には、それ以上の結果を出すように頑張りました。知勇兼備の将で、戦国時代の三大築城名人と呼ばれ、現代風に呼べば一級建築士になります。
 また、豊臣秀吉が没した後の時代を先読みした藤堂高虎は、いち早く徳川家康に接近して諜報役として働き、情報を集めて家康の危機を何度も救いました。そして、秀吉が没した関が原の戦いでは、豊臣恩願の武士でありながら徳川家康の東軍につきました。徳川臣からすれば功績十分で攻めるところが無い藤堂高虎に対して、「お前は主君をとっかえひっかえした不忠義者だぞ。俺らは譜代なんだぞ」と言い張ることしかできない。そのようなつまらない事が当時にはあったようです。
 律義で滅私奉公するのが日本人の良いところですが、今の若者には“古い”と一笑されてしまいますのが残念です。