継体天皇と皇后・皇妃

日 時 平成24年1月27日(金)
場 所 池田泉州銀行講堂
講 師 水野正好氏(大阪府文化財センター理事長)
 当時第25代武烈天皇に子供がなく、先代の仁賢天皇や先々
代の顕宗天皇にも男子がなくて皇位継承に苦慮していました。
 そこで重臣の大伴金村が手をつくして、第15代応神天皇の
五代孫を見つけ出したのが、後の継体天皇です。
 継体天皇は当初即位を固辞しますが、国の大事であり大臣を
はじめ皆が懇願したので、ついに天皇になることを承諾いたしました。
 因みに「継体」とは、「国体を継いだ天皇」という意があるそうです。
 継体天皇は、即位時すでに57才と高齢であって妃も子もいましたが、手白香皇女を皇后に迎え、幸いにも男子を授かることができました。
 ただ男子1人では後継に心もとなく、既婚の妃も含めて皇妃を8人(目子媛・稚子媛・広媛・麻績皇女・関媛・倭媛・苐媛・廣媛)置き、総計21人(男子:9人、女子:12人)の皇子・皇女を得て危機を脱します。
 結局 継体天皇は531年に82才で亡くなり、目子媛が産んだ安閑天皇〜宣化天皇を経て、手白香皇后との皇子が第29代欽明天皇として即位し、長期政権を樹立いたしました。
 継体天皇は越前から来たため、地方豪族の子孫ではとの説もあるようですが、天皇家は「万世一系」であり、確固たる系図でもってこの説を退けているようです。