日 時 平成24年2月18日(土)
場 所 芦屋公民館
講 師 石野博信氏(兵庫県立考古博物館長)他
昨年(平成23年)2月に、芦屋市の会下山遺跡と川西市の
加茂遺跡が国史跡に指定されたことを記念してのイベントが
ありました。
前者は、弥生時代には珍しい「高地性集落」で、本来当時は
稲作が始まっていましたから、集落は平野にあってしかるべき
なのが、何故か高地に存在していたもので、これはのろし台等があったことから、戦い時の見張り用ではなかったのだろうかとの説もあるようです。
後者は、全体として甲子園球場の約5倍の面積があったと推測される「巨大集落」で、敵から身を守るための環濠がいくつも見つかっています。
両者とも戦いを意識した村造りになっていますが、それでは敵とは誰なのでしょうか。
九州勢ではとの憶測もあるようですが、神戸の玉津田中遺跡で唯一、九州で造られたであろうとする銅剣の一部を受けて亡くなった遺体が発見されている以外は特になく、おそらく近隣(阪神間あるいは大阪周辺の勢力)ではなかったのか・・・と思われています。
なお、首のない遺体も出土しているそうですが、戦国時代のように弥生時代でも敵の首を取ることが手柄になっていたのでしょうか。