台湾・先住民の環境

日 時 平成24年2月24日(金)
場 所 芦屋公民館
講 師 野林厚志氏(民族学博物館准教授)
 文永・弘安の役(蒙古軍の日本襲来)の頃、中国本土(元)で
は台湾への出兵も併せて検討された由ですが、当時は海賊の
巣であったことから断念し、その後も関心は薄かったようです。
 しかしスペインやポルトガル等の関心は高く、オランダに至っ
てはしばらく交易の中継拠点として統治しており、良質の鹿の
皮等を日本へ輸出していました。(日本では、武具等に使用された。)
 時を経て、中国本土からもボチボチ移住者が出始めたことから、政府は集団化することを恐れて、二男・三男の独身者のみに許可を与える政策をとりました。
 その結果 西部平野には漢族系住人が、山岳地帯や東海岸には先住民族が定着します。
 しかし現行は、各々が原住民であるか否かは、原住民の身分を有しているかどうかであり、それは法律で規定されているとのこと。(本人の意思で原住民をやめることもできる。)
 原住民の種類は、1910年には8種に分類されていましたが、2009年には14種に増えており、これは各々の部族が申請によって独立したことによるとのことでした。
 部族によっては言葉も異なり、このような狭いところにこれだけの種が存在するのは、世界でもあまり例を見ないようです。