花と生きた人 「西 行」

平成24年2月23日(木) 午前の部で実施。
場所: 宝塚市男女共同参画センター
主催: まなびの会公開講座
講師: からあい企画の皆様
 西行は、祖先が藤原鎌足という裕福な武士の家系に生まれ、
本名は佐藤義清といいます。幼い頃に亡くなった父の後を継ぎ、
17歳で兵衛尉(皇室の警護兵)となります。同じ歳の平清盛と
共に、特に重要な警備である「北面の武士」に選ばれます。
 また、「流鏑馬(やぶさめ)の達人で、蹴鞠(けまり)の名手」でもありました。しかし、西行は「北面」というエリート・コースを捨て”突如遁背”してしまいます。遁背の理由は4〜5点考えられますが、詳しい遁背の理由は本人しか分かりません。一番の理由としては、友人の急死に無常を感じたという説が有力のようです。悟りの世界に強く憧れますが、現世への執着も捨て切れず悶々とする中で、気がつくと花や月に心を寄せ歌を詠んでいました。歌は全てで、2090首ほど作りましたが、恋の歌は約300種、桜の歌が約230種あり、勅撰集には265種が入選しているそうです。当時、元永元年(1118年)の頃は世の中が乱れていて、みんなが(侘び、寂)の世界に憧れ、一説によりますと、「遁背村」まで出来たそうです。また出家の際には、衣の裾に取り付いて泣く子(4歳)を縁から蹴落として、家を捨てたという逸話が残っています。話は変わりますが、日本は未曾有の災害に合い、その復旧事業は政治家同士の内輪揉めで手の付かない状態です。こういう時代だからこそ政治家に頑張って戴きたいと思います。