日 時 平成25年5月14日(火)
場 所 明石市男女共同参画センター
主 催 (財)兵庫県芸術文化協会
講 師 茨木一成氏(日本歴史学会会員)
福沢諭吉氏は最近では一万円札の表紙で有名ですが、我々の
世代では慶応義塾大学の創設者としても知られています。
彼は天保5年(1834年)に下級武士の子として生まれます。
しかし武士として生まれても下級のため出世は望めず、諭吉は
「身分制度は親の仇」のように感じるようになります。
安政2年(1855年)に大阪の緒方庵である「適塾」に入門し、優秀であったことから2年後には緒方塾の塾長に推されました。
安政5年には藩命により江戸に出て蘭学の塾を開きますが、これが慶応義塾大学の起源となります。
慶応2年には、諭吉は武士の時代の終焉を感じとり、刀剣を売り払い、その年末には「西洋事情」を発刊いたしました。
しかし米国渡来中に幕府の金・約2万両(今の時代で約120億円)を流用して原書を50冊購入しました。
帰国後、それが原因で自宅謹慎となりますが、幕府は崩壊寸前で取り締まる力はなく、また諭吉の方も幕府はこれ以上長く続かないと読んでいたようです。
現在でもある程度の資金がなければ大学や高校へも通えず、新たな差別が発生しています。