日 時 平成25年5月18日(土)
場 所 キッピーホール
講 師 浅野淳博氏(関西学院大学教授)
社会ひいては地球をよりよくする「平和」という概念について
イスラエルの歴史や聖書を中心に解説をしていただきました。
旧約聖書の時代では、イスラエルの民は他国との戦いがあり
その戦争を正当化している部分があります。(聖戦として)
彼らの歴史は①弱者ゆえに生き残りのための戦い、②他民族
を戦いで支配、③大国に支配される・・・であり、ダビデ〜ソロモンの頃は絶対君主制で権力を集中させ、軍事的抑圧によって「平和」を実現していたようです。
一方 新約聖書の時代では、イエスはメシア(平和へ導く者:油注がれた者)と位置付けられています。
イエスは「平和をもたらす神の国が近くまできている。しかし完成までには時間がかかる」と話しました。
ローマ帝国の平和は弱者を排除(殺戮等で)することによりつくられたものですが、イエスの神の国運動は普遍的平和(民族や国家を超越するもの)としています。
なお後世の人(ヘンリー・ナウエル)が、「心の内に党派心や憎しみを抱いたまま平和運動に関わるならば、その人は平和運動に戦争を持ちこむ。」としている言葉が印象的でした。
「愛敵」の教えがあるにもかかわらず、世界に宗教戦争が無くならないのは何故でしょう.。(人の弱さ?)
<写真は、アイルランドの至宝「ケルズの書」(福音書の写本)です。>