日 時 平成25年5月25日(土)
場 所 大社公民館
講 師 山内英正氏(甲陽学園高校教諭)
家持は746年に都から越中守に任官して赴任しますが、この
地方勤務が都とは異なる北陸の風土に接して、彼の持つ文芸
の才能を花ひらかせました。
そして751年に少納言として都に帰ってきますが、ここで彼は
否応なしに政治権力闘争に巻き込まれていきます。
そのような中で家持絶唱(最も秀逸)と言われる歌を万葉集巻十九に三首残しています。すなわち、
「春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に うぐいす鳴くも」(春の野に霞がたなびき、夕方の淡い光の中でうぐいすが鳴いているが私の心は晴れない。)、「我がやどの いささ群竹 吹く風の 音のかそけき この夕かも」(庭にほんの少しはえている竹の群れが、風により葉が擦れ合う音のする夕べよ。)、「うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思えば」(うららかな春の日にひばりが飛び立つも、一人物思いにふけり悲しいことだ。)・・・です。
上記は家持が大伴家の棟梁として政治的ポジションをどうとっていくか等、藤原仲麻呂を中心とした政治権力闘争に心が悲しくなって落ち込んでいる様子を垣間見ることができます。
万葉集最後の歌(巻二十・4516)もまた家持の歌で、「新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや頻け吉事」(新年にあたり降る雪のように良い事も多く積もってほしい。)でした。