日 時 平成25年6月21日(金)
場 所 神戸女学院大学
講 師 河西秀哉氏(神戸女学院大学専任講師)
いつの頃からかわからないくらい、遠い昔から存在していた
売春というシステムが、明治維新以降の近現代にどのような
経緯をたどったのか、解説を拝聴してきました。
鎖国をしていた江戸時代には吉原に代表される遊郭があり
公然と売春が行われていたわけですが開国となると欧米諸国
と肩を並べることになり、明治政府は欧州の売春制度を基にした「公娼制度」に再編した由です。
これは女性たちが泣く泣くではなく、自分の意思により進んで売春をするという建て前で営業を容認するというもので、実態は以前とあまり変わるものではなかったようです。
しかしそのような状況の中でも、キリスト教や社会主義者たちは、「廃娼運動」を展開したそうです。
ただ、第2次世界大戦で敗戦し連合軍が進駐してくると、大和撫子の純潔を守るという美名のもとに、これら兵士の受け皿として「特殊飲食店(いわゆる赤線)」が必要悪として誕生します。
この赤線で働く酌婦の調査(京都)結果が残されており、それによりますと彼女たちの実態は、「親がいない人が多い・兄弟が多い・学歴は一般人に劣らない・既婚者が多い(夫と死別)・生活困難等」でした。
結局 売春防止法の制定には、昭和31年まで待つことになります。
(写真は会場の建物)