明治の教育機関「大隈重信」

日 時 平成25年9月10日(火)午後の部
場 所 明石市男女共同参画センター
主 催 (財)兵庫県芸術文化協会
講 師 茨木一成氏(日本歴史学会会員)
 大隈重信は、私立総合大学である(早稲田大学)を創設し、
当初は政治経済・法律・英・理の4科を持ち、以降 政党と
 学校を通じて民間からの近代化を進めました。 維新後
政府に出仕。 外交問題で政治手腕を認められます。
 また1907年に早大の総長も務めます。
 氏の祖先は本人の曰く、あの菅原道真と言うことです。
 また家の土地は300坪ほどあって、大隈の妻が野菜を作り彼が貿易館を造り宗教の自由も認めました。
 そして政府では財政担当となり、大隈と三菱は仲が良かったので、三菱に全てを1億円で譲り、返済は超超低利の金で返済としました。
 「今の三菱があるのは」氏のおかげのようです。
 また政府内部では伊藤博文と大隈が対立し、このことを岩崎弥太郎が変と告げ口、10月1日伊藤らは大隈の参議罷免を決行します。
 官有物払い下げを中止し、世論の鎮静化を待ちました。
 今の大企業、大商社はこの頃の格安で払い下げられた企業がほとんどのようです。