平成25年10月8日 (火)午後の部
場所 明石市男女共同参画センター
主催 (財)兵庫県芸術文化協会
講師 茨城一成氏 日本歴史学会会員
児島 惟謙は伊予宇和島藩士の子供で、功績は取りたてて、
無いそうですが、(裁判長、大審院長)、を歴任し、大津事件を
裁いたことで、歴史に名が残りました
大津事件とは、ロシア最後の皇帝で1891年シベリア鉄道の
起工式に出席の途中日本に来遊、警備担当の巡査津田三蔵が邪推し、皇帝の頭部に切りつけました。 関係悪化を恐れて、死刑を迫った政府の裁判干渉を退け、担当裁判官を説得し、法律の規定どうり、無期懲役とし、日本は予想以上に三権分立が進んでいると、世界が驚きました。 しかし父や叔父の影響で歴史や政治に興味があった「畠山 勇子」は大津事件が起こるやいなや、国家の有事と嘆きしきりに嘆いたが、他の人には全く相手にされなかった。 当時の日本はまだ極東の弱小国であり、この事件を口実に大国ロシアに戦線布告でもされたら、国家滅亡さえ危ぶまれる彼女はそう判断し、遺書を各方面に10通送り自殺した。 しかし、彼女の壮絶な死は「烈女勇子」とメディアが宣伝して広まり、盛大な追悼式が行われました。
彼女の墓には(小泉八雲)や(モラエス)も訪れているそうです。
彼女の死により、武力報復、賠償請求も無しになったそうです。