奥州藤原氏の栄枯盛衰

日 時 平成25年10月29日(火)
場 所 宝塚男女共同参画センター
主 催 からあい企画
 平安時代の東北は安倍氏にとってかわり、清原氏が権力を握り
ますが、その清原(武貞)氏に幼い清衡をつれて敗者・安倍氏の
女(有加一乃末倍)が入ります。
 やがて武貞との間に生まれた家衡らと、連れ子である清衡が
対立しますが源義家の援助で清衡が勝利します。(後三年の役)
 そして念願であった父方の姓を名乗りますが、これが奥州平泉の始祖・藤原清衡です。
 彼は今までの体験から争いのない仏教の理想郷を造るべく、中尊寺の建立に取り掛かります。
 2代目・基衡は父の後を継いで毛越寺を建立し、一方基盤を固めるために異母兄親子を殺害したりいたしました。
 3代目・秀衡はさらに源氏との関係をより強固なものとするため、源義経を保護いたしますが、結果的にはこれが後に裏目に出てしまいます。
 4代目・泰衡は藤原氏全盛期に育ったこともあってかやや凡庸だったところもあり、鎌倉(源頼朝)に口実を与え、攻められてしまいます。
 奥州も18万騎の大軍を擁していましたが、100年間も戦争がなく、平家を滅亡させた鎌倉軍に歯が立たず、終焉を迎えました。