平成25年11月12日 (火)午後の部
場所 明石市男女共同参画センター
主催 (財)兵庫県芸術文化協会
講師 茨城一成氏 日本歴史学会会員
岡倉天心氏は、福井藩の下級武士の子として横浜で生まれた。
その福井藩の藩命で横浜に開いた「石川屋」の角倉で生まれ
たことから、天心は当初「角蔵」と名付けられた。
9歳の時、母が産褥熱げ死去。 その葬儀が行われた長延寺
(現オランダ領事館後)に預けられ、漢籍を学び、横浜居留地の宣教師ジェームス・バラが開いた英語塾で英語も学びました。
明治になり廃仏毀釈を経て、西洋文化崇拝の風潮の中、1878年フリゲ-ト艦の船上ピアニストとしてフェノロサが明治時代に日本に来日し、東京大学で政治学、哲学、理財学(経済学)を教えました。講義は岡倉天心他数名の者が聞いた。
しかし、フェロノサは逆に日本美術を高く評価し、日本美術の虜になった。
そして、東京蓺術大学の前身の一つである東京美術学校の開校にも関わるなど、明治時代におけるフェロノサの果たした役目は大きいと言いえます。
また「国宝」の概念はフェロノサが考えました。
また天心の代表的な顔は横顔ですが、横顔の写真は初めてと講師も驚いていました