官兵衛の見果てぬ夢

日 時 平成25年12月6日(金)
場 所 鳴尾公民館
主 催 鳴尾公民館活動推進員会
 軍師・黒田官兵衛が秀吉を天下人に押し上げてから、伏見藩邸で
没するまでのお話しがありました。
 天下人となった秀吉は九州平定を行い、その時の功労により官兵衛
は豊前6郡(12万石)を与えられますが、小早川隆景が筑前70万石、
佐々成政が肥後50万石に比べ、あまりにも少ない加増でした。
 一説によれば官兵衛はキリシタンであり、かつ天下に野心を持っていたためとも言われています。
 官兵衛は自分が当主では秀吉に警戒されてこれ以上黒田家の繁栄は望めないと予測し、44才で家督を22才の長政に譲り隠居いたします。
 秀吉は家督相続は認めたものの、軍師としての引退は認めず、天下統一の最後のステップである北条攻めにも参戦させています。(官兵衛は北条氏政・氏直を説得して開城させました。)
 また朝鮮出兵(文禄・慶長の役)でも軍監として2度にわたり渡海いたします。
 秀吉が亡くなり関ケ原の戦いが勃発しますと、これを天下人への好機と捉え、まず九州一円を足下に治めようと活動しますが、関ケ原が一日で終り見果てぬ夢となってしまいました。
 長政は関ケ原の功により、筑前52万石を得て初代藩主となり、官兵衛は藩祖として妻光姫とともに静かな余生を送り、59才で永眠いたしました。(写真は息子の長政)