古代白眉の名剣

日 時 平成26年1月15日(水)
場 所 西宮郷土資料館
主 催 西宮郷土資料館・辰馬考古資料館
 標題の「名剣」とは奈良時代の「陽宝剣・陰宝剣」のことです。
 この名剣は「東大寺献物帳」に明記されているもので光明子が
皇后に昇格した頃に記念としてつくられたものだそうです。
 夫の聖武天皇は文武天皇と藤原宮子の間に700年に生まれ
光明子もやはり700年に藤原不比等の娘として生まれました。
 光明子はやがて聖武天皇の妃となり、ついで皇后にとの話しが持ちあがりますが、当時は皇室の女人しか皇后になる習慣はなく、光明子が臣下の娘であったため皇室の実力者である長屋王(高市皇子の子)が大反対し、これを阻止しようといたしました。
 しかしこれを謀反の疑いありとして排除し、光明子が光明皇后になったという経緯があります。
 したがって前述の名剣は聖武天皇・光明皇后にとって特別なもの(同じつくり、同じ長さ)であったため、聖武天皇が崩御された際、光明皇后が正倉院に他の宝物とともに寄贈したものですが、その後光明皇后(?)により持ち出されたとされる記録(除物)があり、そしてそのまま行方不明になっていたものです。
 それが約1250年の時を経て、東大寺の大仏殿から発見されました。
 一説には、大仏造立は2人が進めた事業であり、光明皇后が聖武天皇とともに大切にしていた宝物をここに埋めることで国家安泰を強く祈ったのでは・・・・・と推測されています。